tomom!
1987.6.13 八王子市在住。元美容師。現在はカフェでパート。
27歳で結婚し、29歳で念願のペット可物件に引っ越し、猫を飼い始める。
初めての子は、某シェルターから譲渡してもらった子猫、テト。
生後5ヶ月半でFIPにて亡くす。 現在は家には3匹。ハル、ジュン、フク。
ハルは譲渡会で、ジュン、フクはシェルターから迎える
29歳の時から都内某保護猫カフェでボランティアをはじめる。主にブログ、インスタ、広報、会計など。相方Mya~noとは、インスタグラムで知り合い、交流するように。譲渡会ポスターの作成依頼を通して、掃除ボランティアにスカウト。わたしの「こういうのつくりたい」という漠然としたイメージをカタチにしてくれるパートナー。
シェルター時代の経験から<身の丈にあったボランティア>について考えるようになる。
車の免許がないことから、捕獲などには没頭できないこと、夫が保護猫活動に対してあまり協力的ではないこと・・・
自分にできることとは?
そうして考えた末立ち上げたのがcaTravanというこのインタビューサイト。
自分自身が、いろんな保護猫活動をする方にお話を聞いてみたい、と常々おもっていたことから、それを記事にして、いろんな情報をシェアすることで後方支援になると考えました。
人と人、人と猫を繋ぐ、そんなサイトになるように。
私たちの旅は、はじまったばかり。
mya~no

子供時代、動物関係の仕事をしていた父の影響でいろんな動物と暮らす。特に、うさぎ、ひよこ、アヒルの子など父が家に連れてきていた当時、「猫」は私の敵だった!
のが、大学でアラビア語の猫好き教授から子猫を譲り受けたのを機に、猫人間デビュー…
出会う全猫たちの魅力にいちいちノックアウトされていつのまにか6猫の母に。
そして茶トラが好きだったのが、いつのまにか白黒族に占領される40代前半の日々。
そんなヘンテコな時間の中で、2017年。インスタ友のなかでも特に惹かれるところのあった「tomom!」@too.moo.miii に誘われ地域の保護猫活動へ足を踏み入れる。最初は施設の譲渡会ポスターの作成だった。
そこから、施設が人手を要していることを知り、猫のトイレ掃除ならできる!と思って参加して目の当たりにしたのは、驚くほど大変で、驚くほど、改善が難しい、困難な実情でした。
週に1度、片道15分ママチャリこいで川沿いの道を富士山眺めて橋を渡って行き帰る。
365日、昼夜を問わず地域のSOSにNoと言えず現場に出ていく代表の、生の”情報共有”を聞きながらひたすらお掃除をする。
非番の日は、まだまだ足りなかった必要書類を整えたり、tomom!がずっとあっためてきた想いをベースに、ロゴを作ったり企画書を描いたり。
自分ができることを、楽しくやらせてもらい、形になれば方々から感謝もしてもらった中で充実した時間を過ごしていました。
しかし、そのうちに、その日々の中にはいろんな人の様々な事情や感情と向き合い、感謝や笑顔だけでは受け止めきれなかった、驚きや心が折れるような出来事にも出くわすようになっていきました。いや、疲れました……。
(今思えば、単に自分が未熟だったのだと思います)
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そういった中で、本気の想いを伝えることで、動いていく状況がありました。
そして、動かせない状況も、ありました。
先達の土俵で、できないできないと叫んでも仕方がない。
ー自分たちの土俵を作ろう。
季節は、夏。
だれもが経験したことのない2018夏の猛暑。
私とTomom!は、ユニット立ち上げ、新たな場所のイメージを共有し、一歩踏み出しました。
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あれから1年半がたちました。
Tomom!の感性とともにたどり着いた目的地は7つ。
ちょっと、少ないでしょうか?
ねこえんの浅利さんを筆頭に、誰もが保護猫にまつわる困難を認識しながらも、保護猫と生きるまっすぐな人との、心のやりとりがありました。
「楽しくなければ続かない」「おしゃれな方がいい」「エンタメだから」
いろんな猫愛にまつわる表現が日々私たちの周りに届けられます。
辛すぎる、痛すぎる、切なすぎることを受け止めるほど、
私にはまだ余裕がありません。
でも、いつだってメジャーな「楽しい」「おしゃれ」「エンタメ」は他の誰かに任せ、
本当の愛や心や豊かさと、保護猫の難しさを通して向き合えるような
そんなチャレンジをライフワークにしていきたい
そんな風に思っています。
保護猫ジャーナルキャラバン。
あゆみは遅いけれど、決して、終わることなく。2年目の旅を続けます。
2020.Jan. Mya~no