しらさぎ動物病院&カフェ 常安有希さん|鷺ノ宮【前編】

緑豊かな阿佐ヶ谷駅からバスに乗り北上すると、車窓には調和とリラックス感が相まったような暮らしが連なり過ぎていきます。目指す町には、しらさぎ、という美しい名が付けられていました。キャラバン初、動物病院が運営する保護猫カフェを訪ねて出会ったその方は、猫を通じて、命と向き合い続ける情熱的な人でした。物語の始まりは、少しキュンとする思い出から。ある日の午後、小学校の帰りの会で……。

絶対に忘れない。捨て犬ノンちゃんとあの日の悔しさ

ー「先生! 有希ちゃんが学校に残飯持ってきています!」。心臓が止まるかと思った。ランドセルに入れてた捨て犬ノンちゃんのご飯のこと、告げ口された。

常安:小学4年生頃のことです。近所の公園にとても人馴れした犬が捨てられました。彼女のお腹には赤ちゃんがいました。その公園は、集団登校の集合場所だったので、毎朝、ノンちゃんと名付けたその子に、ご飯をあげてから登校するのが私の日課でした。

その朝たまたまノンちゃんがおらず、ご飯をランドセルに入れて学校に来ていたのを、クラスの女子が帰りの会で告げ口したのです。

ノンちゃんに元気な赤ちゃんを産んで欲しくてご飯をあげていただけなのに、なぜこうして責められるの?! 悔しくて悔しくて泣いてしまい、あとの話し合いがどうなったかは覚えていません。でも、犬や猫の命に無理解な人たちに対し、強い感情を抱いたあの日のことは、一生忘れないと思います。

身重の捨て捨て犬ノンちゃんはその後、近所の動物嫌いな人の通報で保健所に収容されたものの、同じ近所の動物好きの方が引き出してくださり、そのお家で出産し、子どもたちを全員里子に送り出した。有希さんが高校生になるまで元気に暮らし、天寿を全うした。

鳥かごで捨てられたシャム猫

ー1980年代、奈良県郊外のとある町の風景。周囲1kmほどの国有林のそばに、有希さんの家がありました。その国有林には、しょっちゅう犬や猫が捨てられていたのだそうです。

常安:車が止まって、段ボールか何かが置いていかれる。「あ、今!」というのが、私の部屋からも、見えました。そのたびに母が家から出て行って、お説教をするという日々でしたね(笑)。

当時、自宅の庭の手入れに庭師が入ると、飼い犬が邪魔をしてはいけないと、近くの山の木に犬をつなぎに来ることが一般的だった。朝つながれ、夕方になっても迎えに来ない……そうして日常の中で簡単に捨てられていく犬たちを、有希さんの家族は家に迎えたという。

常安:猫も犬も、時にはニワトリも捨てられました。そのたびに保護したり里親を探したりしていたので、わが家は有名な犬猫屋敷でした。

そんなある日、家の前に1匹のシャム猫が、小さな鳥かごに入れられ、捨てられました。身体中下痢にまみれて、見るからにやせ細っています。……翌日、亡くなりました。

なぜ、最期の1日、たった一晩を看取ってあげなかったのか。特別な処置をしなくてもいい、今まで一緒に暮らしてきた家族のそばに、なぜ寄り添ってくれなかったのか。その出来事のことも、強烈に覚えています。

特別じゃない、保護猫活動ことはじめ

ー今のようにインターネットやSNSのない時代。有希さんの里親探しはこんな感じ。

常安:別のある日、明日は今年最大の台風が上陸するという時でした。母と2人で通りがかった公園に黒猫が捨てられていました。それも、9匹……。段ボールの中、雨ざらしの子猫たちの体にはウジが湧いていました。

9匹……。すでに家にいる子たちに加えて勘定したものの、置いてなどいけません。連れて帰ってきれいに洗い、里親を探しました。

生まれて初めて猫を飼ったのは、小学1年の時。大阪から奈良へ、父の友人がバイクで連れてきた子猫・ピーコ。ライダースジャケットの懐から差し出された小さな三毛猫は、生粋の猫だった。「手も口も出る悪い猫でした(笑)」(常安)。長年にわたり、ゴッドマザーとして権勢を振るってくれた。

常安:隣町で祖母がタバコ屋を商っていたので、里親募集のポスターを作り、貼ってもらいました。放課後には、自転車に子猫と猫を飼うのに必要なアイテム、ご飯とトイレ砂を乗せて、習い事の先生のお宅を訪問(笑)。そのまま、「預けて」来たこともありました。

特別な保護猫活動をしているという意識なんかありませんでしたよ。日々の延長にある、ごくふつうのことでしたから。

小学校のテストの余り時間、答案用紙の裏に、これまで飼った猫の名前を全部書き出してみた。「32匹かあ」(有希少女)

結婚するなら、動物好きな人

ー生き物に囲まれ、特に猫が大好き。多感な日々を過ごした少女も、時が経ち、最初の人生の選択を迎えます。

常安:高校に入り進路を選ぶ際、理系クラスを選びました。加えて、いつも母と一緒にお世話になっていた獣医のおじいちゃん先生が本当に優しくて大好きだったこと、そしてやはり、小学校時代の、捨て犬ノンちゃんの思い出、たくさんの捨て猫を救ってあげたい気持ち……猫にまつわる想いがあいまって、獣医を目指すことにしました。

今思えば、高校時代は、犬猫好きが誰もいない、アウェイな環境でした。成長して、里親も自分の努力で探せる年頃になったのに、私の猫愛など到底理解されない日々。どんな友達とも猫のことを語り合う余地はありませんでしたね……。いつか結婚する人は猫好きな人がいいと思いました。

思い返せば、猫嫌いな人も混在する地域で、猫屋敷のマダム・有希さんの実母は、日々努力を怠らなかった。「嫌いな人をよけい嫌いにさせないように、自分の家の周りだけでなくさらに広い範囲までも掃除を欠かさなかったんですよ」(常安)

未来のパートナーは犬派?

ー獣医学部へ入った途端、環境は一変する。

常安:当然ですが、全員が生き物好き! 犬猫はもちろん、牛や馬や鳥も。動物愛への話は尽きず、こんなに幸せな環境があるだろうか、と感動しました。

大学3年になり選んだのは、小動物の研究室でした。そこへ行けば犬猫はじめ小さな命が室内を歩き回っていたり、ご飯の時も膝に登ってきたり、新しい命が生まれたり。学友たちの家にも生き物があたりまえのようにいましたね。

—その研究室で、今のご主人との出会いがあった。現しらさぎ動物病院院長・常安先輩。有希さんと同じく熱烈な猫派だった……?

常安:2つ年上の先輩でした。もともと犬派だったんですよ(笑)。ある時研究室の別の先輩が、バイト先の動物病院で預かった保護猫を1日でいいから誰か預かってくれないか? と持ち込み私が引き受けたことがありました。大学生になって実家を出て以来、久しぶりの猫との生活でした。

一度預かったら、もう情が移り飼うしかないです。お尻に怪我をした人間不信の猫でした。懐くまで一年ほどかかったかな。枕元で一緒に寝入ったのに、少しでも私が動くとパンチが出る。朝起きたら私は手に傷なんてことはしょっちゅうです。そんな、とにかく強気な猫を、彼もおもしろいと感じ、猫好きへとなっていきました。

その時の猫は死ぬまで抱っこ嫌いの正統派ツンデレだった。以降もう1匹拾った子が加わって、大学時代は一人暮らしをしながら、2匹の猫と暮らした。

保護猫に詳しい獣医さん誕生

ー無事に卒業し、社会人になった有希さん。人生を共にすることを決めた彼(現院長先生)と二人三脚で、開業に必要な経験を積み上げていきます。

常安:開業するために一番必要なことは、自信です。地域の方達から、獣医としてだけではなく、社会人として信頼される人に成長すること。2人で開業という目標に向けて走り出して、それぞれ目の前の命と向き合い経験を積み上げる20代の日々でした。

彼は横浜の藤井動物病院に就職。緊急病院であるため、獣医師は全員病院の近くに住むことが採用条件だった。有希さんは近所の別の病院へと就職を決める。

常安:そこで意外だったのが、みんな、保護猫の扱いをあまりに知らないことでした。保護猫の手術やどこまで治療をするべきか、お金は誰が出すのか、今後誰が世話をしていくのか、保護主と話し合って決めなくてはなりません。そういったことに、病院の先生方は当時あまり詳しくなかったんですね。ここにきて、私の少女時代からの保護猫経験が役立つことになりました。

たいていの犬猫は動物病院が嫌いなことが多いです。治療中に暴れてしまい、手や口が出て私達動物病院スタッフが怪我をしてしまうことは、なるべく避けなければなりません。犬猫の気持ちを汲み取り、暴れてしまわないように、上手く抱っこしたり、おだてたりしながら恐怖心が生まれないよう心がけています。猫の場合、私は気持ちが通じる感じがしていますが。

ー奈良で育った多感な10代。保護猫、保護犬を通して人や社会のいろんな面を見たこと、日々の動物に対する想い。大学に入り動物愛あふれる仲間たちと出会い、結婚、就職し子育てもしながら都会の動物医療に携わる中で、どこか遠くなっていたのかもしれません。30代にさしかかるころ、有希さんはある人との出会いをきっかけに、少女時代の想いと再会することになります。

DATA

里親募集型ねこカフェ しらさぎカフェ|鷺ノ宮
営業 10:00〜12:00
休み 毎週水・木、ほかに臨時休業もあり ※詳しくはホームページにて
入場料 なし。通常のカフェのようにドリンクメニューより注文
アクセス 西武新宿線「鷺ノ宮」駅より徒歩9分、JR「阿佐ヶ谷」駅より関東バス01系統「中村橋」行きに乗車、「しらさぎ二丁目」下車徒歩3分

取材:2019年5月

コメント

  1. akko より:

    先日実家で飼っていた犬が体調を崩し、24時間体制の救急病院で手術するも治療の甲斐なく、脳梗塞を発症し亡くなりました。
    手術からお見舞いの数日間、病院へ行くたび獣医の先生方の激務のご様子が見て取れましたが、 最後まで懸命に診てくださり本当に感謝しております。
    獣医の道を選ぶきっかけは色々なのでしょうが、しらさぎクリニックの先生のように幼少期から命の尊さと向き合って来られた方たちが多いのかなと、この記事を読んで思いました。瀕死の猫が捨てられていたり、台風目前に何頭もの猫が捨てられていたり、今もどこかで起こっているであろう酷くて惨い現実をもっとたくさんの人に知ってもらいたいし、どうにかして少しでも減らせたらと思います。

    • 保護猫ジャーナルキャラバンcatravan より:

      akko様

      インタビューを読んでくださり、ありがとうございます。

      今回私たちは、はじめて獣医の先生にお話を伺いました。
      たくさんの伝えたいこと、知ってほしいことが溢れ、二部構成になりました。
      生と死が常に隣り合わせの獣医師だからこそ、志や、内にあつい想いを持つ人でなければ続けられないお仕事なのではないかと感じました。
      保護猫のために働きかけてくださる有希先生の芯には、幼少期の悔しい想いや、動物のいる豊かさがあるのではと思います。

      ご自身の体験もふまえコメントくださり、ありがとうございました。
      ワンちゃんのご冥福をお祈りいたします。

      後編もお読みいただけましたら幸いです。

      保護猫ジャーナルcaTravan